電電公社と労働組合の秘密協定


 労働運動史研究家の久保在久(くぼ・すみひさ)氏から、日本電信電話公社(現在のNTT)の労働組合である全電通全国電気通信労働組合)の労働協約書をいただきました。公社と労働組合が結んだ秘密協定文書です。
 この資料を「全電通労働運動の恥部」とみなして公開をためらわれるOBもおられるようですが、久保氏は「むしろ、公開することに意義がある」と、当館に寄贈してくださいました。 

 そこで今回は、資料の寄贈者であり、全電通組合員でもあった久保氏に本書の解説を執筆していただきました。以下に掲載します。なお、本書には奥付はもちろんタイトルもありません。書名は久保氏と相談のうえ、当館がつけました。


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 全電通労組、職場闘争の到達点(いわゆる「ヤミ協約」について)


 全電通労組は1965年の春闘において、4月20・23日の両日、運動史上初の「自宅待機」方式による全員半日ストを決行した。公労法(公共企業体等労働関係法)によってスト権が奪われていた全電通にとって、交渉の前進を期すために、ストライキは不可欠のものだとの判断によるものであった。

 これに対する報復として、電電公社は同年6月5日、解雇32名を含む、参加者全員15万5千余人に対する昇級延伸など実害を伴う大量処分を発令した。

 全電通はこれに対抗して、各職場で創意を凝らした「パルチザン闘争」を指令するとともに「未払い賃金請求」の本人訴訟いわゆる「マンモス訴訟」を起こし、組織的な抵抗運動が執拗に続けられた。

 これに音を上げた電電公社は、66年に至って、次のような和解案を提示してくるところとなった。

  1. 合理化について双方努力する。
  2. 大衆行動の制約
  3. 中央協約と異なる下部協約の整理
  4. 夏期手当の調整
  5. 60歳以上の昇給停止

 提案内容は、全電通にとっても団結阻害要因になる「毒素」が含まれているため、論議を巻き起こしたが、大量処分に伴う、減額賃金の補填や解雇者の生活保障など、全電通にとっても闘争資金の取り崩しや、組合費の臨時徴収など、経済面で追いつめられていたこともあり、66年6月25日、中央本部は組合員の実害回復を条件にこの提案に同意した。これを締結日にちなんで「6・25了解事項」という。

 この冊子は、この了解事項が結ばれたのを機に、全電通近畿地本と電電公社近畿電気通信局が作製した、3項の中央協約を上回る職場段階の労働協約の一覧である。表題はなく、「部外秘」とされ、一部の労務担当者、組合幹部以外には、配布されなかったものかと思われる。
 
 この冊子は、近畿地方全電通の職場段階でどのような労働協約が結ばれていたのかが一見して分かると同時に、その内容は、勤務時間や作業量協定、労働組合活動に及ぶものまで多岐にわたり、360余頁に及んでいる。当時の電電公社における職場闘争の到達点を示す、貴重な記録といって差し支えないだろう。

 なお、4項の「夏期手当の調整」は電電公社当局の査定で、夏期一時金支給の際、「勤務成績優良者」に一定の額を加算するというもので、これの実施により、さまざまな悪弊が生じたことから、全電通は撤回闘争に取り組み、後年これを実現させた。その時期は1971年と記憶しているが、72年かもしれない(典拠となる文献不明)。

 さまざまな悪弊とは具体的には、同じ職場で同じ仕事をしている者の間に手当に差をつけられるということは、ごますり、競争意識など、組合運動にとって好ましくない傾向が持ち込まれることになり、そねみねたみなども生じる。組合は、当初、多く支給された人に頼んでその額を拠出させるようなこともしたが、協力を得られなかったり、反発を買って説得に時間を要したり、かえって余計なエネルギーが割かれることになった。

 いずれにしても、この「6・25了解事項」はその後の全電通労組の活動方向に大きな転機をもたらしたといって差し支えないだろう。「合理化に協力」「下部の問題協約の廃棄」の二点が、むしろ夏期手当の問題よりも大きなファクターであったかと思う。(久保在久)

<書誌情報>

[近畿通信局と全電通近畿地本の廃棄された労働協約集] 1967.5月締結 364p, 21cm
 請求記号 RL643/ キ91/

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