賀川豊彦フェア関連資料:神戸三菱・川崎争議の写真葉書

 エル・ライブラリーで開催中の「生協の父、賀川豊彦フェア」についてはメインブログをご参照ください。(賀川豊彦<1888-1960年>)
http://d.hatena.ne.jp/l-library/20091003



 本日ご紹介するのは、戦前最大の労働争議と言われた「神戸三菱・川崎造船所争議」(1921年)を支援するために創られた写真葉書です。

 「藤永田造船所争議」のエントリーにも書きましたが、
http://d.hatena.ne.jp/shaunkyo/20080723

 1921年は造船不況の年です。1918年11月に第1次世界大戦が終わり、造船不況がやってきます。1921年にはワシントンで海軍軍縮会議が開かれ、翌年には条約が結ばれて、ますます新造船の受注が減ることになります。そういう経済状況を背景に、造船各社で起きた馘首(かくしゅ・首切り=解雇)や賃下げに対して苛烈な闘争が繰り広げられました。

 1921(大正10)年5月から始まった大阪の藤永田造船所争議に続いて、6月25日には神戸の三菱造船、川崎造船という2大造船所で大きな争議が起きます。労働組合側は組合加入の自由と工場委員制度を要求してストライキに入りましたが、会社側の弾圧に遭い、警官隊との衝突などにより、組合側指導者300人が逮捕される事態となりました。このときの指導者の一人が賀川豊彦です。

 ストに入った争議団員たちはたちまち生活費に窮することになります。行商団を組んで各地に石けんやタオルなどを売って回った労働者たちを支援するために作られたのが、写真の葉書です。第4版まで制作されたことが確認できています。当時大阪市にあった大原社会問題研究所が争議支援のために大量に買い込んだようで、現在でも法政大学大原社会問題研究所では何組かの写真葉書セットを所蔵しています。

 写真では、争議団員の先頭に立って神戸市内をデモ行進する賀川豊彦が写っています(一番右)。このとき賀川豊彦は33歳、神戸のスラムで救貧活動に身を投じて13年目でした。

 この争議は結局、労働側の敗北に終わりました。この後、穏健なクリスチャンである賀川豊彦は労働運動指導の第一線から退き、農民運動や労働者教育へと比重を移していきます。



<当館所蔵の参考資料>

  • ビデオ「灯をともした人々」1958年、兵庫県労働部製作(1921年の争議団デモ行進の実写フィルムを使用)



<書誌情報>
 労働争議示威運動実写葉書 第1−第4  神戸発動機工場発行 8枚組
    (*原文は旧漢字。第4版のタイトルは「労働争議付犠牲者団葬実写絵葉書」)


※この資料は予約していただければ閲覧可能です(貸出不可)。
 電話 06-6947-7722 またはメール lib★shaunkyo.jp(★を半角@に変えて送信してください)でどうぞ。